●綺麗と美しいは違う

「女性はいくつになってもキレイでいたいもの」
これは、よく雑誌やネットで目にするコメントですよね。でも、わたしは「いくつになってもキレイでいたい」とは思いません。
でも、「キレイでいたい」とは思わないけれど、」「美しい人」にはなりたいと思っています。
それは、”綺麗”と”美しい”は違うと思うから。
わたしは以前から、「キレイ」や「カワイイ」とカタカナで表記するものは、外見に大きく関係しているのではないかと思っていました。ためしに辞書で調べてみると、「綺」という文字は、美しい模様を織りだした絹のことと書いてあります。
そして「麗」は、見た目が整って美しいこと。
だから、もともとは誰かのお召し物が美しいこと
(=見た目の美しさ)を表現するための言葉だったのです。
だから、わたし達が”あと人キレイね”と言う時には、知らず知らずその方のお顔立ちや着ているものなど、外見的な美しさに注目してコメントしているのですね。
外見の美しさが「キレイ」を左右するのなら、年齢を重ねると”キレイ”でいることは、難しくなってくるのではないでしょうか。
それは若いころに比べれば、皮膚のツヤや弾力も、髪のボリュームも、そしてスッキリした細身のスタイルも、年齢とともに変化してしまうから。
見た目=キレイだと思っていると、
「若い頃は肌にシミがなかったのに」とか、「もっと痩せてスタイルも良かったのに」など、気持ちも後ろ向きになってしまいます。そうすると表情がくもり、ますますキレイからは遠のいてしまうという悪循環に。
だから、「いくつになってもキレイでいたい」という思いが、かえって綺麗を遠ざけてしまうのです。

●「美しい」とは生き方そのもの

では、「美しい」とはどう言うことでしょう?
日本画家の千住博さんが、とても印象的なことを仰っていました。それは、「美しい」とは、生きることそのものだと。
まず「美」という漢字を見てください。
羊が大きいと書きますよね。
千住さんが仰るには、その昔わたし達の先祖は、今と違って生きることに必死だっので、そんな時に、冬は暖かい羊毛をくれて、お腹が空いたら食料にもなってくれる羊が大きいことが、美しいこととして認識されたのではないかと。
わたしも、この意見に同感です。

漢字ができる時に羊が大きいことを、「喜び」とすることもできたはずですよね。
役に立つ羊が大きかったら、嬉しいですから。
でも、喜びではなく美しいこととした。これは、まさに人が生きていくこと、そのこと自体が美しいと、人は思うからだと言えないでしょうか?

●エイジレスビューティーに大切なこと

生きていくこと自体が美しいのだとしたら、人は何歳からでも美しくなることができます。
でも、その時に大切なポイントがあると、わたしは思うのです。それは、自分に自信が持てるかどうか。自信がないと、”私なんて…”とか、”あの人はいいな…”とか、マイナスなオーラが出てしまい美しく見えないのです。
でも、自分に自信を持つことができれば、
“あの人、なんだかキラキラしてる”というオーラを纏うことができます。

自信の持ち方は、人それぞれ。何かひとつに打ち込むことも自信に繋がりますし、目標を決めてコツコツ努力することも、また自信に繋がります。
みなさんそれぞれ、自分がどうしたら自信を持つことができるのかを見つけていくこと、これが、いくつになっても美しい人でいられる、たった一つの方法だと私は思います。